北多摩戦後クロニクル 第11回
1952年 東村山・正福寺地蔵堂が国宝再指定 地元の誇り、今も信仰と交流の場

投稿者: カテゴリー: 連載・特集・企画 オン 2023年3月14日

 北多摩の住民でも、東村山市に東京都内で唯一の国宝建造物があるのを知る人は少ないのではないか。西武新宿線東村山駅の西口から歩いて10分余り。家並みを抜けると正福寺が現れる。禅宗の古刹で臨済宗建長寺派の寺だ。境内に建つ地蔵堂は戦前から国宝だったが、戦後1952年に文化財保護法の国宝に再指定された。今も地元の誇りとして手厚く保護されるとともに、親しまれ、地域の絆としての役割を果たしている。

 

正福寺地蔵堂

正福寺地蔵堂(1981年 撮影/飯島幸永)

 

わがふるさとの地蔵たち

 

 正福寺の建立は鎌倉中期の1278(弘安元)年と伝えられる。本堂は奥にあって、まず見えるのが地蔵堂だ。屋根の四隅が天に反っている独特の造形は壮麗で美しい。鎌倉時代に禅宗とともに唐から伝来した中世禅宗様の木造建築で和建築の技法も取り入れた貴重な遺構で、この地蔵堂が国宝だ。鎌倉にある国宝の円覚寺舎利殿とほぼ同じ姿をしている。本堂と地蔵堂の来歴は後ほど紹介したい。

 筆者は小学5年生から東村山市の久米川町に住んいる。小中学生のころはよく自転車で正福寺周辺にクワガタ捕りに出かけた。ジブリ映画『となりのトトロ』で有名になった八国山(映画では七国山)や多摩湖も近い。農家が点在するのどかなところだった。本堂は1986年に改築したが、当時は古い小さなお寺で地蔵堂も「変わった建物だな」と思っていた。ところが大学受験のときに日本史の参考書で国宝と知って驚いて久しぶりに行ってみた。

 お堂の中におびただしい数の高さ20センチほどの木彫の地蔵があった。別名千体地蔵堂。当時は自由に中を拝観できた。お堂の壁面いっぱいに地蔵たちが並んでいて、守り本尊の仏像(高さ1.1メートルの地蔵菩薩立像)が鎮座していた。私のほかに拝観者はいなかった。

 今は地蔵堂の中は年に3回しか入れない。6月の第2日曜日、8月8日、11月3日。この「文化の日」は地蔵祭りといって、にぎやかだ。私も2、3度行ったことがある。2022年11月、久々に行ってみた。

 すごい人出だ。近所の人たちだろう、お店を出して綿菓子や焼きそばやてんぷらなどを売っていた。郷土史研究サークルの人たちが机を出して資料などを並べていて、正福寺の歴史を聞くことができた。郷土の名刹を愛する思いが伝わってきた。雅楽のイベントもあって、美しい装束の女性たちがしょう篳篥ひちりきに合わせて古式豊かな「浦安の舞」を披露していた。

 

浦安の舞

正福寺地蔵祭りでの「浦安の舞」(2022年11月3日)

 

 地蔵堂の内部が撮影できるのは地蔵祭りの時だけ。千体余りある地蔵は江戸時代に盛んになった地蔵信仰の流行に乗って先祖の供養や世の安寧を願って善男善女が奉納したという。地蔵たちは今では整然とガラスケースに収まっていた。

 

地蔵堂内部

地蔵堂内部の公開(2022年11月3日)

 

昭和になって価値「発見」

 

 正福寺の開基には謎が多い。何度かの火災で創建時の文書はなく、江戸時代の資料から類推するしかない。それによると、創建したのは鎌倉幕府の八代執権、北条時宗との説が有力。鷹狩に来た時宗がこの地を気に入り、建立を発願したとの伝説が流布していたという。時宗の父の時頼が開祖との説もある。いずれにしろ武蔵国の、おそらく草深い村に正福寺は鎌倉の建長寺の末寺として建てられた由緒正しい禅寺なのだ。

 地蔵堂の来歴ははっきりしている。正福寺を襲った1662(寛文2)年の大火で伽藍がらんのほぼすべてが焼失したが地蔵堂は焼け残り、創建時の姿をほぼとどめているとされるが、1933(昭和8)年から翌年にかけての解体・修理の際、墨書銘が見つかり、建立は室町初期の1407(応永14)年と判明した。正福寺は江戸後期ごろから由緒ある寺として知られていたが、奈良、京都や鎌倉の名刹と違って認知度は低かった。地蔵堂の価値も認識されていなかった。

 その価値を「発見」したのが1927(昭和2)年の東京府史蹟保存物調査。寺社の歴史や文化財、建築などの専門家が詳細に調べた結果、鎌倉・円覚寺の舎利殿などと同様に禅宗様建築の数少ない建造物であると認められ、2年後の1929年に国宝に指定された。

 禅宗様式の建築は中国、朝鮮半島で盛んに造られ、日本にも渡来したものの、飛鳥時代以降途絶えたとされる。鎌倉時代に禅宗の渡来とともに復活した、当時としてはモダンな様式である。唐様とも呼ばれる。素材は木が主役で瓦も土壁もない経済的でシステマチックな造り。屋根は入母屋造りで屋根の上層はこけらき、下層屋根は板葺き。現在は上層に銅板が葺いてある。ひさしが深く、反った屋根を支える垂木が放射線状に広がっていて、伝統的な和建築の工法と唐様が折衷されている。

 千体余りある地蔵のうち、奉納した人の名前と住所がわかる179体を見ると、今の住所でいう東村山、所沢、東大和、小平、国分寺、国立、清瀬、小金井、立川、武蔵村山など近在の主に農民が奉納したことが分かる。昔から北多摩地域の信仰の中心だったのだ。

 

幅広く親しめる場所に

 

 2022年の年の瀬12月28日夜、正福寺本堂地下に設けられたスタジオにクラシックの調べが響いた。埼玉県所沢市にある防衛医大病院総合臨床部の教授・部長田中祐二さんが主宰する「和洋管弦のケミストリー 納会2022」だ。演奏するのは病院の医師、看護師をはじめとした腕に覚えのアマチュア音楽家たち。田中さんもチェロを弾きこなす。患者らを慰めようと15年から同病院で催されてきたコンサートがコロナ禍でできなくなり、21年に初めて同寺のスタジオで開催した。

 

本堂地下のコンサート

正福寺本堂地下でのコンサート(2022年12月28日 撮影/飯島幸永)

 

 正福寺にスタジオが設置されたのは20年。副住職の福原泰明さんによると、以前から物置のように使われていた地下の広いスペースを改装した。高級グランドピアノのほか、マリンバをはじめとする打楽器なども豊富に備えている。実は福原さんは英国への音楽留学経験を持つプロの打楽器奏者で、スタジオ内で定期的にリサイタルも開いている。予想以上に反響が大きく、今後は一般の演奏機会も広げていきたいという。

 この夜のコンサートでベートーベンからアニメソング、バレエまで多彩なプログラムが演じられると大きな拍手がわき、福原さんもマリンバ、ビブラフォン演奏を披露して約40人の客を魅了した。

 福原さんは「最近は葬儀も葬祭場で行うし、皆さんが寺を訪れる機会が少ないと思う。単なる宗教施設を超えて、国宝建築物を見学する人も音楽好きな人も気軽に訪れ、幅広く親しめる場所にしたい」と抱負を語った。
(中沢義則)

 

【主な参考資料】
・図録「正福寺展―国宝・地蔵堂建立600周年記念―」(東村山ふるさと歴史館)

 

中沢 義則
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