北多摩戦後クロニクル 第16回
1958年 石神井川の氾濫 都市化が招いた“暴れ川”の水害

投稿者: カテゴリー: 連載・特集・企画 オン 2023年4月18日

 1958(昭和33)年9月に神奈川県から上陸した台風22号は東京周辺で気象庁の観測始まって以来の豪雨を記録し、静岡県伊豆地方と関東地方に甚大な被害をもたらした。伊豆半島の狩野川流域の水害が甚大だったため「狩野川台風」と名付けられたこの台風は、小平を水源にして田無を貫通する石神井川流域にも豪雨をもたらした。水が乏しい武蔵野台地における水害は以後増え続け、“暴れ川”は流域住民を苦しめるようになる。

 

石神井川の氾濫

石神井川の氾濫による冠水(1965年、旧田無町)=西東京市図書館所蔵

 

勤めを休んで警戒

 

 狩野川台風は練馬区、板橋区に甚大な水害をもたらしたが、石神井川、白子川、新川流域の保谷町(現西東京市)でも床上浸水160戸、床下浸水232戸という被害が出た。被災住宅地の多くは、河川沿岸の谷底か窪地の低所得者向け公営住宅か木造低層住宅軍だった。

 役場は職員を動員して胸まで水に浸かって老人や子どもを連れ出し、近くの小学校に避難させた。5日を経てもなかなか水位が下がらない事態に、町は消防団員ら約100人、自衛隊員約250人を動員して延長800メートルの排水路を緊急掘削し、推定20万トンの濁水を白子川に排した。

 田無で大きな被害が出るのは1966年6月の台風4号からだった。以後、水害は毎年のように発生する。田無・保谷石神井川対策協議会の調べでは、田無・保谷両地域の氾濫件数は1966〜70年までは年間2件程度だったが、71〜72には4件、73年は8件、74年には14件と急増している。

 水害が頻発した地域に住む88歳の男性は「昔は川幅が狭くて底も浅かったから、ちょっと降るとすぐにあふれた。大雨の夜は安心して眠れない。『あふれなければいいな』と思って寝返りを打ったらバチャッ。床上浸水。下水が流れ込んでいたから臭いもひどかった」と話す。

 特に低地に建つ都営住宅の12世帯では、普段から家具の下にコンクリートブロックや木材を入れてかさ上げし、降雨シーズンになると、あらかじめ1階の畳を取り外して出水に備えた。大雨が降りそうな日は勤めを休んで警戒したという。

 1976年9月の台風17号が全国にもたらした未曾有の大雨は、田無市で1時間に65ミリを記録し、被害は床上浸水1800戸、床下浸水1398戸に達した。当時の新聞が被害住民の生々しい声を伝えている。「土砂降りの雨音に混じってざわざわと聞こえる気味の悪い水音で眠りを破られた。…気がついたら玄関が浸水していた。戸を開けると道路が見えず、川みたいに水がごうごう流れていた」(9月9日付け読売新聞)

 台風のつど、市の消防団員や職員が多数駆り出され、土のう作りや住民対応に振り回された。被害地域では自衛のための土盛りや住宅改築が原因で近隣とのトラブルが相次いだという。

 

石神井川

改修前の石神井川は川幅が狭く浅かった(1960年、旧田無町)=西東京市図書館所蔵

 

「都市水害」を起こす代表的河川

 

 もちろん以前にも集中豪雨による氾濫はあり、石神井川は戦前から“暴れ川”と呼ばれたが、大きな被害には結びつかなかった。畑や雑木林を浸した雨水は徐々に川に流れ込み、しみ込んで地下水になった。そもそも氾濫時に冠水するような谷筋の低地に人は住まなかった。

 ところが高度経済成長期、石神井川流域は急速に都市化が進む。1955〜61年、10カ所に都営住宅が建ち、60年代半ばには流域の8割が市街化された。畑や雑木林が宅地や工場、学校、舗装道路に整備されると雨がしみ込みにくくなる。その分、排水溝や下水道、河川に流れ込む水量と速度が増し、水害が起きやすくなった。かつて東京で洪水といえば下町地区だったが、都市化によって武蔵野台地のような高台にも頻繁に洪水に見舞われる地帯が出るようになった。

 例えば1966年の台風4号の田無の降水量は258ミリと58年の狩野川台風の339ミリの約4分の3だったが、最大流量は狩野川台風時を3%上回った。氾濫までの時間は、狩野川台風時は約8時間かかったが、台風4号の時は約2時間と極端に短くなった。

 最大流量の増加と急激な出水は、それまで安全だった宅地が洪水の危険にさらされることを意味した。もともと人が住まなかった低地が地価の高騰や住宅難によって居住地域になったことも被害を拡大させた。農地の宅地への転用は水害を受けやすい低地から進んでいった。

 谷底の低地は元来、洪水時に遊水池の役割を果たしていたが、宅地造成のための盛り土は雨水を地下に浸透しにくくし、雨水を吸い込む地面の面積を大幅に減らした。さらに下水管の設置によって大雨時は急速に川の水位が上がり、たちまち下水が逆流してマンホールからあふれ出た。

 こうした都市化による水害は「都市水害」と呼ばれ、神田川、野川、善福寺川、妙正寺川、目黒川など武蔵野台地を流れる川で増えていくが、石神井川はその代表的河川だった。

 

石神井川

石神井川への下水放流工事(昭和30年代、旧田無町)=西東京市図書館所蔵

 

異常気象による集中豪雨

 

 狩野川台風をきっかけに東京都は1959年に石神井川の河川改修工事を始めた。川幅を拡張し、川床を掘り下げ、護岸を整備する。しかし北区、板橋区など下流域から着手した工事は上流の田無・保谷地域にはなかなか及ばなかった。繰り返される被害に改修を急ぐよう陳情を繰り返してきた流域住民は76年の台風後、「被害の責任は対策を怠った都にある」と抗議集会を開き、損害賠償の訴えも辞さない姿勢さえ示した。

 改修工事によって西東京市に大規模な被害が出なくなったのは1980年代に入ってからだ。当初1時間30ミリの降雨に対応できる改修対策は1時間50ミリに変更され、河川改修と並行して市内には3カ所の調整池が設けられた。

 

石神川監視カメラ

西東京市・柳沢橋に設置した石神川監視カメラの映像

 

 しかし近年、異常気象による1時間100ミリを超える集中豪雨が相次いでいる。都は1時間75ミリの降雨を想定するよう長期目標の水準を引き上げ、下水道との連携、運動場や公園緑地などへの貯留施設、浸透施設の設置といった水害対策を進めている。

 線状降水帯による集中豪雨が毎年のように各地で被害をもたらすなど地球規模の気候変動によって想定を超える水害が生じている。既成の水害対策は更新を迫られている。
(片岡義博)

 

【主な参考資料】
・『保谷市史 通史編3 近現代』
・『田無市史 第三巻 通史編』
・鈴木理生著『江戸の川 東京の川』(井上書院)
・宮田正「石神井川流域の都市化と水害」(農林水産省 農林水産技術会議事務局筑波産学連携支援センター

 

片岡義博
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