明るい未来―孫の世代の経済
経済問題について、明るい話題はほとんど見聞することができなくなった。というより、暗い話ばかりである。生産面では、日本など先進国の停滞と中国など発展途上国の成長頭打ち、分配面では貧困と格差拡大の貪欲資本主義のグローバリズム、それらを包み込んでいる資本主義経済行き詰まり観の広がり―これが今の経済環境だ。
この不安経済下、とりわけ日本では、少子高齢化の急進と財政赤字拡大の打開策として、社会保障費の圧縮が「改革」政策の柱とされ、着々と実施されている。これでは、国民生活はお先真っ暗ではないか。アベノミクスの不成功が露わになるのは時間の問題なのだが、情けないことに、それに対する野党からの攻撃も「対案」も全く見られないのである。従って経済失政を政治の争点にできないのだ。
どこかに明るい話はないものか。そこで思い出すのは、経済学の大学者ケインズの「孫の世代の経済的可能性」という予言論説である。執筆は大不況時代の1930年だから、彼の孫の時代というのは今現在のことになる。予言のサワリの語句を抜き書きしてみよう(山岡淳一訳『ケインズ説得論集』から)。
「百年後の2030年には、先進国の生活水準は現在の4倍から8倍の間になっている」「大きな戦争がなく、人口の極端な増加がなければ、百年以内に経済的な問題が解決する」「これは経済的な問題が人類にとって永遠の問題ではないことを意味する」しかしその結果「人類は誕生以来の目的を奪われる」「人はみな懸命に努力するようしつけられてきたのであり、楽しむようには育てられてはいない」「なんらかの仕事をしなければ満足できないだろう」「残された職をできるかぎり多くの人が分けあえるようにすべきである」「一日三時間勤務、週十五時間勤務にすれば、問題をかなりの期間、先延ばしできるとも思える」「今後は、経済的な必要性という問題から実際上、解放される階級や集団が増えていくだろう」「経済的な問題の解決のために、もっと重要でもっと恒久的な事項を犠牲にしないようにしようではないか」-というわけである。
2030年にはまだなっていないが、少なくとも「孫の世代」にはもう来ている。この予言は当面、大外れの様相だ。しかしすべてが見当違いの予言だったとは言えないだろう。ケインズ先生も「今後百年は、自分自身に対しても他人に対しても、きれいは汚く、汚いはきれいであるかのように振る舞わなければならない」「貪欲や高利や用心深さをもうしばらく、崇拝しなければならない」とクギをさしている。
生産力の更なる向上は間違いないだろう。それは人類全体を容易に養えるだけのものになるはずだ。「働かざる者食うべからず」のような警句は当然死語になる。一方で、医療技術も進歩して健康長寿が可能になる。財・サービスの生産力は有り余っているので、老人の扶養や介護の負担を苦にする必要もない。というように、超明るい未来社会を描くことができる。ケインズ先生が冗談半分に提唱する職の分け合いは、失業防止のためではなく、過去の「働き中毒」の余後対策なのである。
このような、明るい未来の可能性を示してくれたケインズ先生の予言は、やはり貴重なものである。
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