慣れ親しんだ木造の園舎を見送る 柳橋保育園、建て替えでお別れ見学会
西東京市新町1丁目にある柳橋保育園の建て替えが進んでいる。4月から園児を迎える新しい園舎の完成が近づき、現在の木造園舎はその後取り壊される予定だ。新園舎お披露目に先立ち33年間の思い出が詰まった園舎のお別れ見学会が昨年11月19日(土)に開催された。
柳橋保育園の園舎は、母体法人である至誠学舎東京の敷地内南端に位置する。新園舎はその北側に建築中で、現在の保育園舎は4月以降、取り壊される予定だ。その跡地にデイサービスと特養の一体型施設の建設が始まる。保育園の定員は約100人。3月に卒園する20人を除いた80人が新園舎に引っ越し、20人が新たに入園する。
「♪ たくさんの毎日を ここですごしてきたね…」。幾度となく口にした歌が突然頭の中にこだました。「さよならぼくたちのほいくえん」。毎年卒園式で歌い継がれてきた曲だ。何百人の園児が柳橋保育園から巣立っていったことだろう。わが子4人も卒園児だ。私自身15年にわたりこどもの送迎に通った保育園だ。この園舎がなくなるなんて、お別れの日がくるなんて思いもしなかった。木造のあたたかみのある園舎が大好きだった。
「柳橋保育園 園舎お別れ見学会 ― 2023年4月に新しい園舎へ引っ越します」
お知らせが回ってきたのは、木々も色づき始めた昨年11月6日。見学会が行われた11月19日(土)朝一番に園に向かった。
出迎えてくれたのは元園長の溝口美子さん。そしてかつてこどもたちがお世話になった懐かしい先生方。降り注ぐ太陽の光も、ぬくもりのある園舎も、あのときのままだ。「あー、この園舎がなくなっちゃうんだ…」。急に寂しくなって、その姿を目に焼き付けようとじっくりと見て回った。
先代の阿紀代子園長が園児のために選んだ机や椅子、大切に使われてきた手作りのおもちゃ、読み込まれた絵本、昼食とおやつに使われる陶器のお茶碗が並んでいた。すべてが懐かしく、たくさんの思い出がよみがえった。
築33年とは思えないほどピカピカに磨かれた廊下、字の読めない園児が見分けられるようにと手書きのマークがついた引き出し。小さなトイレや乳幼児の身長にあわせた低い手洗い場。日よけのターフがかかった縁側で、ままごとや、ひなたぼっこ、夏は水遊びをしていたなぁ。
思い出とともに、そこで関わってくれた先生方や地域の方々の顔も次々と思い浮かんだ。定期的に自然観察会を開いてくれたのは大森拓郎さん。大森さん指導のもと、保護者の有志でビオトープも造った。三男を妊娠中だったのに、材料を運び、穴を掘り、シートを張り、地下水を汲み上げて水を溜めた。ビオトープから生まれた命、育まれた小さな魚や昆虫、水草。ときおり訪れるシロサギの優雅な姿。ビオトープの水を引いて隣に造ったじゃぶじゃぶ池も、こどもたちが大好きな場所だった。
和太鼓の指導にあたった横尾恭一先生。阿園長が保育士に和太鼓を体験してもらいたいとの思いから始まった。伝統芸能・口承文化に馴染み、太鼓を叩く練習は、保育士の体幹を鍛えた。園児に対する関わり方がどっしりと腰のすわったものに変化したと、園長が語っていたことも記憶に残っている。
その後、園児にも和太鼓に触れさせたいと、こどもたちの練習がスタートした。卒園を前に、年長組の発表会もあった。懸命に叩く姿が微笑ましくも眩しかった。乳児は幼児になるまで太鼓に直接触れることはなかったが、空気を震わせ腹に響く太鼓の音色を聞きに、保育士に連れられて2階のホールまで幼児の練習を見にきていた。
野菜、魚、植物などを題材にした写生の時間は武藤順子先生が担当した。目の前の対象物をしっかり観察して描くこどもたちの絵は迫力があった。高木慶子先生のわらべうたの時間もこどもたちに大人気だった。わらべうたを歌いながらの手遊びや全身をつかった音遊びで、友達と声やリズムを合わせることを自然に学んでいた。
自然観察、和太鼓、写生、わらべうたなど、多くの園児は楽しそうに参加していたが、早期教育にありがちの無理強いはなかった。やりたくない子は無理してやらなくてもいい。大切にされていたのは、自発性と、長時間過ごす保育園が自宅のような心地よい場所であること。阿園長の信念が貫かれていた。
食も大事にされていた。栄養士と調理士は、素材と調理方法にこだわり、栄養のバランスがとれた昼食やおやつを準備した。旬の食材を使い四季折々の行事には彩り豊かなメニューで園児の身体と心を育てた。
閉園間際、しんと静まり返った園舎の玄関で保護者を出迎え、暗い廊下を優しく照らしていたのは、ステンドグラス作家酒井秀子さんの扉とランプだ。これから帰宅し大急ぎで夕食の用意をしなくてはと焦る気持ちを一旦落ち着かせほっとさせてくれたのも、保育園の廊下に設置されたステンドグラスのランプから漏れる柔らかな灯りだった。
日々の保育、生活のリズム、季節の変化に沿った年中行事、常にこどもを真ん中に据えた保育が実践されていた。様々な人々との関わりの中で守られ育まれてきたこどもたち。園児ばかりか、保護者の私たちも、こどもに今一番大切なことは何か? 寄り添うとは? 仕事と育児をどう両立させるのか? など、先生方や友人から学びながら、子育ての葛藤と喜びをとおして成長させてもらった。なんと幸福で豊かな時間だったことだろう。
20年来のママ友である加藤涼子さんはこう語る。「隅々まで考え抜かれて建築された園舎は、どれひとつとっても先代の阿園長のこどもたちへの眼差しと慈愛が感じられるものでした。絵本の読み聞かせ活動も行われるなど、昔から地域との結びつきも大事にする保育園でした」
小学生以上を対象にした活動の場「杉の子会」を長年主催し続けているのも、地域とのつながりを大切にしてきた一環だ。卒園後も杉の子会が開催する芋ほり、飯盒炊飯、パン作り、山登り、キャンプ、スキー合宿などの活動に参加できた。保育園が主体となり、卒園生をリーダーに育てながら、地域にねざした幅広い場の提供を続ける活動は、巣立った園児がつながりを持ち続けられる稀有な場なのではないだろうか。
見学会のおかげで、思い出がたくさん詰まった園舎とのお別れできたばかりか、園で学んだことを振り返ることができた。ともに過ごした時間、空間に、別れを惜しみ、先生や友人と共有できたうえに、これからの人との関わり、繋がり、地域の人々と一緒に育ち育てられる未来を考えることができた。このような機会を設けてくれたことを大変ありがたく思う。
元園長溝口美子先生の口癖は「おかあさん、絆ですよ、絆!」。園舎は建て替えられても、ここで培われた絆はそう簡単にはなくならない。
ありがとう、あたたかい時間
ありがとう、豊かな空間
ありがとう、こどもたちの成長をみまもってくれて
ありがとう、家族を長年にわたり支えてくれて
ありがとう、たくさんの絆を築かせてくれて
(卯野右子)
【関連情報】
・柳橋保育園(HP)
・社会福祉法人 至誠学舎東京(HP)
・「さよならぼくたちのようちえん」、新沢としひこ・作詞 島筒英夫・作曲(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia))
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偶然見つけたこの記事に、目頭が熱くなりました。
園舎がなくなってしまうのですね、、、
小学生のころは私は田無に住んでおり、杉の子会に入っていて、当時園庭の隅にあった杉の子文庫にもよく行きました。20代の後半には3年ほど非常勤として当時、たんぽぽ組で溝口先生とともに保育に入らせていただきたくさんの思い出があります、溝口先生、懐かしいです!
阿喜代子園長にはもうお会いすることはできなくなってしまいましたが、たくさん助けていただき大変お世話になったこと
決して忘れません。阿園長のお陰で私は保育士の資格を取ることができたのです。
暖かい温もりのあの園舎も、もう目にすることはできませんが、私の心の中であの日のまま、いまも、これからも鮮やかに残り続けるでしょう。
うのさん、素敵な記事をありがとうございました。
沙織先生、コメント嬉しく読ませていただきました!次男がたんぽぽ組でお世話になりました。杉の子会にも参加されていたのですね。地域に長く続く活動ということを改めて実感します。
阿園長との思い出も共有くださりありがとうございます。胸があつくなりました。本当にたくさんの保育士、そしてたくさんの保護者に、大きなものを残してくださいましたね。時に厳しい言葉を投げかけられたこともありましたが、それは常に子どもを真ん中に、子どもにとってなにが一番大切かを考え抜かれていたからこその厳しさだったと思います。
新園舎でも園庭開放など行われているようです。遊びにいきたいですね~