北多摩戦後クロニクル 第14回
1955年 原子核研究所が田無に開設 ノーベル賞受賞者を輩出した先端施設
1955(昭和30)年、田無町(現西東京市)の東京大学農学部付属農場の一角に日本初の原子核研究施設「東京大学原子核研究所」(核研)が開設された。以後、40年以上にわたり全国の研究者たちに開かれた原子核物理学の拠点として、ノーベル賞受賞者をはじめ数々の才能を輩出することになる。現在、素粒子実験の最先端を担っている日本の研究組織の源流には、この核研がある。
■ 「原子」「核」アレルギー
敗戦後、連合国軍総司令部(GHQ)は日本に原子エネルギーに関する研究を禁じ、原爆の研究開発を進めていた東京の理化学研究所と京都大学、大阪大学にあった計4基のサイクロトロン(物理学の基礎研究に使う円形加速器)を東京湾と大阪湾に投棄した。
停滞した原子核研究を再興するべく、物理学者の朝永振一郎を委員長とする日本学術会議・原子核特別委員会は、原子核・素粒子・宇宙線研究のための巨大加速器を持つ施設の建設に動いた。1954年7月、田無町での研究施設建設が公表された。
同じ年の3月、太平洋マーシャル諸島沖のビキニ環礁で米国の水爆実験によってマグロ漁船の乗組員全23人が「死の灰」を浴びる「第五福竜丸事件」が起きたばかりだった。半年後、無線長が急性放射能症で死去。全国に原水爆禁止運動が広がり、国民の間には「原子」や「核」という言葉に対する恐怖と憎悪が渦巻いていた。
田無町議会はすぐに研究所建設反対の決議をして東京大学に要請書を提出し、住民も反対組織を設立して署名を集めた。主な反対理由は「研究の軍事転用」と「放射能被害」の危険性だった。敗戦から9年、いまだ食うや食わずの暮らしを続けている住民にとって、将来役に立つかどうかもわからない施設に10億円もの巨費を投じることへの反発は根強かった。
のちに核研初代所長となる菊池正士や朝永は半年以上にわたって田無に赴き、町議会や役場、町民に説明を繰り返した。
「施設は純粋に学問の研究のためであり、エネルギー利用のためではない」「政府の圧力などで原子力が兵器研究に移行する恐れが出てきたら職を賭して闘う」「放射能などによって町民に危険を及ぼすことは絶対にない」――。
話し合いは時に深夜に及んだ。次第に反対の声は小さくなり、なし崩し的に建設が開始されると、町議会の反対特別委員会は核研を監視する委員会へと性格を変えていった。
■ ノーベル賞受賞者を輩出
核研の特長の一つは、全国の研究者が利用できる「全国共同利用研究所」という点にあった。この新しい体制は大学の研究室ごとに実験が進められていた当時としては画期的だった。研究者の自主的運営、各大学との人事交流とともに自由闊達な研究環境を育み、その後の共同利用研究所や国立共同利用機関の先駆となった。
世界最先端の性能をもつ加速器サイクロトロンと電子シンクロトロンが建設されたことによって、全国から若き研究者が田無に集まった。平均年齢は30歳前後。湯川秀樹がその存在を予言したパイ中間子の生成に日本で初めて成功するなど、原子核、素粒子、宇宙線物理学、物質構造科学の優れた研究成果が核研で次々に生まれた。
超新星爆発に伴うニュートリノを検出した小柴昌俊や、素粒子物理学の画期的理論を開拓した益川敏英、ニュートリノの振動とその質量を発見した梶田隆章らノーベル物理学賞受賞者をはじめ、世界で活躍する才能を多数輩出した。元文部大臣の有馬朗人や脱原発運動を牽引した高木仁三郎も在籍した。
核研の名は国際的に知られるようになり、世界的な科学者が頻繁に来訪した。その中には原爆製造のための「マンハッタン計画」を主導し、のちに深い後悔とともに反核の立場を取ったR・オッペンハイマーもいた。
■ 跡地は「いこいの森公園」に
1980年5月、核研で放射能汚染事故が発生した。所外の研究者グループの実験操作ミスによって、放射性同位元素で超ウラン元素のカリフォルニウムの汚染に気づかないまま汚染した紙類をごみ焼却場で燃やしてしまった。関係者の被爆や研究所外への影響はなかったが、新聞一面には「住宅地の中のズサン実験」「問われる管理体制」といった見出しがおどった。
1997年、核研は文部省高エネルギー物理学研究所、東京大学理学部附属中間子科学研究センターと改組統合して高エネルギー加速器研究機構(KEK)となった。田無での研究活動は続いたが、2001年に研究施設は茨城県つくば市に移転し、跡地は保谷市と田無市の合併による西東京市誕生を記念して「西東京いこいの森公園」として再生した。
記念碑には「戦後の基礎科学の復興と近代化に果した核研の功績は大きく、その名はわが国近代科学史に燦然と輝いている」と刻まれている。
(片岡義博)
【主な参考資料】
・東京大学原子核研究所編『核研二十年史』
・東京大学原子核研究所編『東京大学核原子力研究所創立40周年記念資料集』
・『田無市史』
・田無市民会議発行『東大原子核研究所とは何か?』
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