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「デモの民主主義」の復活

投稿者: カテゴリー: コラム・百音風発 オン 2015年9月5日

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第7回

師岡武男 (評論家)
 
 

 8月30日の国会前を埋め尽くしたデモの写真を、新聞やテレビやネットで見た人は、まず「凄いな」と感じただろう。年配の人なら「60年安保以来だ」とも思ったに違いない。人数については、主催者発表の12万人と、警察の3万人とは開きが大きいが、各種の調べによると、国会周辺に来た人の延べ人数は12万人が事実に近いようだ。前日には安保法案支持のデモも都内であって、500人程度だったという(讀賣新聞)。人数で民意を計るなら、この二つを比べるべきだろう。

 東日本大震災以後に反原発市民デモが盛んになり、それを引き継いだかたちで反安保デモの拡大になったが、60年安保と比べた大きな特徴は、労働組合と学生自治会主導から市民運動主導に変わったことだろう。しかし民衆の直接行動による民主主義運動であることは同じである。組合もいずれ後を追わざるをえなくなるのではないか。一番大事なことは、デモによる直接民主主義の行動が復活したことだと思う。

 60年安保の時、岸首相はデモによる反対よりも、声なき声の多数の支持があると「迷セリフ」を吐いたが、結局退陣せざるをえなかった。安倍首相も同様に無視の姿勢で強行採決するつもりのようだが、国会答弁では「国民の一つの声として真摯に受け止める」(東京新聞)と言わされた。一つの声ではなく、多数の声であることを認めさせるには、もう一段の民衆の努力が必要だが、デモが政治を動かす力を持ちうることを、国民全体も感じつつあるのではないか。東京新聞の社説は「デモの民主主義が来た」(8月30日)と見出しをつけた。

 デモの民主主義の復活は、突然に降ってわいたわけではない。小規模ながら市民も労働組合も続けてきた。しかし大規模なデモの主役であった組合は総評が衰退し、連合への再編成ですっかり無力化した。学生運動も解散同様になった。デモという名称を「パレード」と言い換える組合もある。

 だが、これらの大組織が沈黙するなかで、しこしこと続けられてきた市民型デモが、原発事故を機に大発展した。それに合わせるように、五野井郁夫氏(高千穂大准教授)の『「デモ」とは何か』という本が出た。人々から離れた「院内」の議会政治を、「院外の力」であるデモで突き上げて議会制民主主義を実現すべきだ、という主張だ。「路上に出て、デモに参加するにはいま少し勇気がいるかも知れない。だが何もしなければ何も変わらない」と訴えている。

 確かに、デモに参加するには、私自身の経験からも「勇気」がいる。体力もいる。時間もいる。安倍首相は、多くの人々にその困難を乗り越える決意をさせた。しかしデモの力はまだまだ弱い。8.30のデモの後で、小熊英二・慶大教授は感想として「国会前という空間が、抗議の場として定着した」「メディアと政党がいくらか社会の変化に追いついてきた」の2点をあげた。しかしそれらを今後も継続させることは、容易なことではないだろう。抗議の「効果」が確実にあがるまで、デモをさらにさらに拡大強化したいものだ。
(了)

 

【筆者略歴】
師岡武男(もろおか・たけお)
 1926年、千葉県生まれ。評論家。東大法学部卒。共同通信社入社後、社会部、経済部を経て編集委員、論説委員を歴任。元新聞労連書記長。主な著書に『証言構成戦後労働運動史』(共著)などがある。

 

 

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