西東京市議会(酒井豪一郎議長)の2023年第3回定例会が9月1日、開会した。厳しい状況の続く市内事業者や福祉施設への支援など物価高騰対策を盛り込んだ総額43億7000万円の一般会計補正予算(第4号)案が提出された。さらに西東京市の第3次基本構想・基本計画の施策目標や、テニスコートなどを備えた芝久保第2運動場の廃止に伴う条例改正案も含めて、計10議案が予算特別委員会などに付託された。会期は10月3日までの33日間。

◎「戦争は絶対悪」を前提とした恒久平和のための政策

 師岡武男(評論家)

 日本経済は今、貧困と格差の生活危機が続いているが、岸田政権の下でさらに平和への危機も付け加わっている。非武装、不戦の憲法に反する軍事大国化と他国との軍事同盟の強化が急速に進められているのだ。この動きは安倍政権以来のものだが、その後のロシア・ウクライナ戦争をきっかけに、欧米諸国のロシア・中国・朝鮮への封じ込め政策が強められ、日本もそれに積極的に参加している。自民公明政権は、これを機に軍事大国化と憲法改定を一気に進めようとしているのだ。

 なんだか不安、しんどい、家族や先生には話せない…。子どもたちのこんな気持ちを受け止めるLINE専用の相談窓口が8月26日、西東京市に開設された。市内の小中高校生らにQRコード入りのカードを配布。スマートフォンの利用が多い子どもたちの現状を踏まえて気軽に相談できる環境を整えた。

 1987(昭和62)年6月6日深夜、東村山市青葉町の特別養護老人ホーム「松寿園」から出火、3階建ての施設に収容されていたお年寄り74人のうち17人が死亡、25人が負傷した。老人ホームの火災としては戦後2番目に多くの犠牲者を出す惨事だった。老人福祉施設の安全管理に大きな教訓となるとともに、医療を含めた福祉の在り方に論議を呼ぶきっかけとなった。

 西東京市図書館は19日、毎年夏恒例の「子どものための地域を知る講演会」として「とびだせ 田無・保谷の村―江戸時代の生活とつながる人々―」を南町の田無公民館で開催した。成蹊中学・高等学校教諭で、西東京市文化財保護審議会委員の行田健晃(ぎょうだ・たけあき)さんが講師を務め、江戸時代の田無・保谷の人々の生き生きとした姿、暮らしを浮き彫りにする話に、子供から大人まで約20人が耳を傾けた。

 東京には環状になった交通路がたくさんある。たとえば環状8号線。しばしば渋滞している印象があり、あまりいいイメージはないが、これはどこまで続いているのか? と考えてみると、ちょっと謎めいてこないだろうか。前回の「武蔵野線」「16号線」に続いて、都心から武蔵野地域にかけて南北に縦断する交通路について考えてみたい。

 1986(昭和61)年3月23日午後零時10分ごろ、田無市(現西東京市)本町の西武新宿線田無駅1番ホームで、停車中の上り準急電車に急行電車が追突し、乗客計204人が重軽傷を負った。

都丸哲也 旧保谷市長を1977年から4期16年間務めた都丸哲也(とまる・てつや)氏が8月13日、老衰のため西東京市芝久保町の老人ホームで死去した。102歳だった。葬儀は8月19日午前、近親者により西東京市のシティーホールひばりヶ丘で行われた。喪主は長男真人(まひと)氏。

 連載企画「北多摩戦後クロニクル」の第32回でも取り上げられたばかりの小平市平櫛田中彫刻美術館では現在、『Denchu-STRUT でんちゅうストラット―此処リアリズム』が開催されている。近代彫刻の巨匠・平櫛田中が晩年暮らし、創作活動を行った美術館を会場に、現代作家6人の作品が展示されている。

 1984年10月、日本を代表する木彫作家の1人、平櫛田中(ひらぐし・でんちゅう)の美術館が小平市にオープンした。小平市学園西町は田中が最晩年に暮らした地。玉川上水のほとり、静かな住宅地に建つ住居兼アトリエをそのままに小平市平櫛田中館として開館、94年に展示館を新設し、2006年4月、小平市平櫛田中彫刻美術館と改称して現在に至っている。こぢんまりとした空間に木彫、ブロンズ作品や書、ゆかりの品々を収め、北多摩地域には珍しい市立美術館だ。

 小金井公園内の江戸東京たてもの園で8月5日と6日の2日間、「下町夕涼み」の催しが開かれた。今年の夏は猛暑日が続き体調管理にも気を遣う日々が続く中、さまざまな「涼」を感じる仕掛けがあった。冷房が完備してなかったひと昔前、人々はどのように夏を過ごしていたのだろう。

 敗戦前後から北多摩の歩みをたどってきた連載企画「北多摩戦後クロニクル」は前回で1980年代に入った。当時、この地域はどんな表情を見せていたのか。写真家の飯島幸永さんは長く武蔵野に暮らしながら「風土と人間」をテーマに作品を撮り続けてきた。今回は「写真特集」として、1981(昭和56)年を中心に武蔵野の四季と人々の営みを捉えた飯島さんの写真とエッセーをお届けする。(編集部)

 原爆関連資料280冊を集めた「原爆小文庫」が1976年、旧保谷市下保谷図書館の一角にスタートした。1994年に新設したひばりが丘図書館に移転。西東京市になってからも資料収集を続け、半世紀近い間に約4000冊に育った。この夏、書架を新製品に替え、図書室奥から入口付近に引っ越し。並べ方も工夫して目に付きやすく、手に取りやすい「小文庫」に生まれ変わった。

 最近の集中豪雨で鉄道の被害も伝わってきます。JR只見線もかつて大きな被害を受けながら、10年余りかけて昨年10月に全線開通しました。その経緯をたどるドキュメンタリー映画「霧幻鉄道」が9月中旬、東久留米市「まろにえホール」で上映されます。近隣3市の福島県人会(東久留米、小平、西東京市)の共催。その一つ、西東京福島県人会の管敏二さんの報告です。(編集部)

 1981(昭和56)年11月、清瀬市で東京都下水道局の下水道処理施設「清瀬水再生センター」が運転開始した。清瀬、西東京、東久留米、小平、東村山、東大和、武蔵村山、小金井、武蔵野9市にまたがる地域の下水を集めて浄化し、荒川水系の柳瀬川に放流する。遅れていた北多摩地域の流域下水道事業はこれにより近代化が完成し、その後世界初といわれる下水汚泥ガス化炉施設も稼働した。施設上部はスポーツセンターとして市民の交流の場にもなっており、95年開館の「小平市ふれあい下水道館」とともに地元にさまざまなサービスを提供している。